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自分の感じるもののかけら、みたいなもの [日々生活]

初めて、絵を描いた。

学生の頃の美術の授業だとかコミュニティカレッジでのデッサン、
版画の下絵を描いたことはあったのだけど

自分の内面を描くということで意識して外に出したのは初めて。

今、参加している写真のワークショップはまるで哲学のように
テーマについて徹底的に考え
それを写真にしてくるという課題が出る。
4回(3ヶ月)という短い間だけれど、これが結構手強い。
徹底的に考えることはできても写真にするというのが難しい。

それで、今回出た「抽象化とは」というお題。
考えてもこれだという自分にとっての確信が得られない。

そして、その間に起こったプライベートでのことで
ひと月の間写真を撮るというテンションにならないのだ。
参った。

写真撮るのは好きなこと。
で、あるのにも関わらず写真を撮れない。
私は本当に写真を撮ることが好きなのかしら?
そんなことまで思う。

その講座の前の日、無理に写真を撮ろうと用意するけれど
アンテナが全く立たない。
これは無理だ。万歳して見学にしようか?
でも、発表せずして見学するとしてもここで何か表したい、何としても。

絵を描いてみようか。

考えているところで「これ、どう?」ともらった画用紙を目の前に置き
白をじっと見つめていると頭にいろいろと浮かんでくる。
図形とも具象とも言えない何か。
一気に鉛筆で描く。
これ、絵なんだろうか?
描いて消して描いて消して。

そして、とりあえず描き終わった。
図形のような、絵のような。
でも、自分が描いたものの意味はすぐにわかった。

写真講座なのだけれど、この絵をみてくれる、と言ってくれた
ファシリテーターの先生とこの講座の場を与えてくれているギャラリスト。
このお2人の設える場が自由で安心感を与えてくれて
表すことを思いっきりできる、本当に素晴らしいアートの空気感。

このお2人にこの絵を持っていくことを承諾してもらい
参加者の皆さんにみていただくことに。

自分が晒されてる感覚が最大限になる。
7人の少人数だろうと1000人の大人数だろうと変わらないと思う。
何より、自分の描いたものを複数の人に見せるなんて、自分がびっくりしている。

でも、ふっと思い出した。
昔々、家族に自分が描いたものか何かをみせた時の
自分の中に灯った火みたいなもの。

この絵をみてくれた、先生や一緒に受けている仲間たちの言った言葉に
ふっと揺らされた気持ち。
そしてこんなに小さなことでもトライしてよかったと
どこかが満ちている。

アートのかけら。

lithWS.jpg
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