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節分と豆と冬の最後 [日々生活]

昨年末できなかった畳替えを何としても立春までに、と決め
家を片づけてなんとか間に合わせた。
(下見に来た畳屋さんが部屋から玄関までの通路に
あまりに物が置いてあるのを見かねて
「申し訳有りませんが畳が通れないので
それだけ片づけていただけますか?」
と言われたくらいの「家が倉庫状態」を無理やり片づけ
当日畳屋さんが感動したくらい(苦笑))
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そして昼間に時間ができたので目黒不動尊の節分祭に寄ってみることに。
3年前に初めてお寺の節分祭に行き、その雰囲気にワクワク!
その時に撒かれる豆(三角の袋の中に豆がいく粒か入っているもの)を
もらう、つまり撒いた豆がこちらにちょうどいい感じで飛んでくるというのは
結構な確率の低さだ。「多分豆をもらえるのはここにいる半分以下の人かー」
と思いその時はもういただけないかも、と思って「届かないよー」と心で言ってみたら
横にポトンと落ち、その後に手のひらにストンと手のひらに入った。
その年はそのストン、の感覚がずっと身体に残っていた。

そして、今年。
「天に花咲け、地に実なれ。福は内、福は内、鬼は外」と唱えた後に
始まった。
ご年配の方たちが撒いているせいもあるのか、遠いところにほとんど飛んでこない。
前の方に豆が落ちていく。
後ろにいる方たちは「もっと若い人にも撒いてもらわないと飛んでこないわよー」と
笑いながら言っている。
私も、これは無理だなーと思っていたけど、妙に気持ちが高揚するし
豆を撒かれているんだから、こちら側が鬼か?とか思いながらいたら
ポーンと遠くに投げられた3個ほどの豆。
無意識に斜め上に手を伸ばしたらポンと手のひらに当たり、手を瞬間的に閉じた。
なんかその手に入った瞬間の感覚が、あまりにも自然でびっくり。
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実はお寺に着いた時には複数の豆をもらえたらあの人にも、あの人にもあげたいって
思っていたけれど
その手に入った瞬間に「まず自分」という言葉が響く。

そうか、自分か。

そして、豆まき隊退場。
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他の人分はお寺で買った。ご祝儀(?)みたいなもの。
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帰りながら
いただくっていうのはもっと自然なことで
何かを取りにいくのとは違うこと。

そして自分の意思ではいただけないということ。
なんか妙にありがたくなった。福豆ということよりも
その偶然に、というか言葉が頭に浮かんだことも含めて。

私は特定の宗教を持つわけではないけれど
宗教を持つことが、その宗教の神に感謝することにつながるのであれば
それは人間を豊かにするのかもしれない、と宗教の存在の意味を感じた。

じゃあ感謝ってなんなの?って考えると
全てが当たり前ではないということに気づかせてもらう瞬間、みたいなこと。
おかげさまで、みたいなこと。

いつかわかるかな、感謝の肝。

で、帰りににゃんこがいい感じでゆるんでた。
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もうチューリップが出てきている。
節分は冬の最後。明日は立春。
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