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2019年が始まりました [日々生活]

今年もよろしくお願いいたします。
お正月は家族、親戚と賑やかに過ごし
実家には友人が遊びに来て、あっという間に終わったお正月モード。

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一昨年、友人から「美穂さんは冬はあまり本調子ではない」と言われて
そういえば、と思った。
この十何年、年末に海外に行くことがあって、その疲れを持ち越していた。
叔母にすら「美穂ちゃんはお正月、いつも風邪をひいているわね」と言われた。
でも本人はそれほど気にしていなかったのだけど、そうなのかなと。

昨年はぼちぼち仕事を始めていた1月(割と忙しかったっけね)。
今年はそれを意図したわけでもなく、1月からライブもその他の仕事も動いているので
昨年同様冬ごもりをしている間もなく、目の前のことに向かっているようだ。
新春歌舞伎もえいやっと観に行ったし。
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そんな動きとともに新しいことも始まったりして、この十何年とはちょっと違う空気感。
そうしたらブラジルに住んでいる友人からメールが来て「今年の美穂は少し動きがあるね」と。
みんな見てるんだなあ。気を引き締めて、身体は緩めて進めていこう。

大人の合唱部「ミウミュージック合唱部」の今年初のレッスンもあり
今年末のパフォーマンスの準備を着々と進めて行くことに。
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そして、1月13日(日)、初雪の次の日に
Lakeside Struttin' Bandの2019年初ライブが町田成瀬CROPで。
機材のトラブルなどありながらも、CROPスタッフの迅速な対応で事なきを得て
熱き良い演奏ができた。

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CROP上からの眺め


次は1月20日(日)に吉祥寺Sometimeで1930から。何かワクワクする!

今年は今までやって来たことをもう一段階進める年にしようと思っています。
新しいことに挑戦するというよりは、今持っているものの質を上げる。それに尽きる。
さらに周りの人たちと共に一段違う景色を見たい。見よう。

どうぞよろしくお願いいたします。
ウスダミホ
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こんな青空と木々のように清々しい一年になるはず
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アフリカ・ケニアからの風 [日々生活]

もうひと月以上前になるけれど
"亭田歩(映画監督)x早川千晶(ケニア在住)x萩原孝一(作家)トークセッションVol.2 いのちの響き"というイベントに行った。
このイベントは友人が「このイベントに行く」とFBでシェアしていて
偶然見た瞬間、思わず「え!」と声を出してしまった。
なぜならこのイベントのスピーカーの早川千晶さんは浜松の高校時代の同級生。
そして、彼女と私は一度も同じクラスになったことはないけれど
接点がなぜかちょこちょこあった。

高校時代にお気に入りのバンドが同じで、彼女は私のクラスの教室にいきなり
「お友達になりましょう!」とニコニコしながらやってきてくれた。
その笑顔を名前を聞く度にふっと思い出していた。

その後、大学時代にそのバンドが解散することになり
最後のコンサートに一緒に行って以来連絡をしていなかった。
その2年後くらいに、彼女と一緒に高校時代、ユニットを組んでいた同級生に偶然山手線で会って
千晶さんが世界中を旅していることを知った。

それからもう10何年も経った後(そう、随分経って)
雑誌「ソトコト」に彼女が書いた記事を偶然に見つけた。
そこでケニアにいることを知った。

さらに、それから数年して高校時代からずっと仲の良い友人
(彼女はご主人の仕事の関係でアフリカ大陸と南米を行ったり来たりしている)が
日本に帰って来たときに「アフリカで千晶さんの友人と知り合って、
今度南アフリカで3人で会うかも」という話を聞いた。

姿は見えないのに、なぜか名前を聞く。風みたいだ。

そんなこともあり、このイベントで彼女の話を聞いてみたい!と思って出かけてみた。

内容は彼女がどのような生育歴を持ち、成長し、さまざまな出来事があり
ケニアにたどり着き、その国に住む人たちにどのような魅力を感じて
30年そこに根を下ろしているのかということ。
それはここでは書き切れないので
ぜひ日本に帰って来たときに彼女の話を聴きに行ってみてください。

それで感じたのは、初めて彼女が満面の笑顔で「お友達になりましょう!」って
言ってくれた誰に対しても変わらないフレンドリーな心の根っこはずっと変わらなくて
その精神でずっと活動されてるんだということ。
大変なことも理不尽なことも諦めなければなんとかなるという強い気持ち
人としての力強さや知性や優しさ、そして厳しさが言葉の端々にあった。

何十年も年月をかけてこのように話を聞けたことに
私もこういう話が少しは理解できるように成長したのかもしれない、思った。
だから会えたのかな。

そして、千晶さんは音楽活動も続けられていて、毎年トーク&ライブをされていると。
高校時代の彼女の歌う姿を見てるので、このこともとっても嬉しい。
実は高校の時にお互い同じライブハウスで音楽活動をしていたことがあるから。

で、今秋に発売されたタイロン橋本 with Pacific United Bandのマキシシングル「Mandela」は
タイロン氏がマンデラの寛容さ、忍耐強さなどに触発されてできた曲。
私はそのCDのレコーディングでオルガンを弾き、コーラスに参加した。
丁度CDを持っていたこともあって、その曲の内容を彼女に紹介した。
マンデラという言葉を彼女が聞いた時にやはり真剣な目になったのが見えた。
アフリカに住む人にとってのネルソン・マンデラという人は私たち日本人には思いもよらないほどの気持ちがあるに違いない。
ましてや彼女は、マンデラが大統領になった時にアフリカ大陸にいたのだから。
でも、このようにリアルにネルソン・マンデラを少しでも身近な存在と感じた人たちに
共感してもらわなければ、届いて欲しいところに届かない曲だと思った。

いろいろなアドバイスをいただいて、理解するのには時間がかからなかった。
やはり、いつかアフリカ大陸に行きたい。
この目で、この足で歩いて感じなくてはわからない、ということ。

とにもかくにも、会えたことに感謝するばかり。
来年も会いたいな、何か一緒にできる日がくるといいな、と願っています。

マゴソスクールを考える会
早川千晶さんのFace Book

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お墓参りでセッション+21世紀になる前のあの頃のみんな [日々生活]

大空はるみさん(Tan Tan)は某音楽学校メーザーハウスで一緒にお仕事をさせて頂いた
素晴らしい歌手だ。

お洒落で美しくて、時には厳しく、愛を持ってクラスの生徒さんにレッスンをされていた。
私はそこで譜面を起こしたり伴奏をしたり打ち込みでカラオケを作ったり
時にははるみさんと「発表会をどうやってショウにしようか」と夜な夜な話したりした。
そんなエネルギーを彼女から与えられて、私もいつのまにか生徒さんたちに対して
愛情を持ち始めたのだと思う。クリエイティブな5年半だった。

亡くなってからかれこれ20年ほど経つのだけれど
富士山の麓にあるお墓に、その時の生徒さん+バンド仲間と一緒にほぼ毎年行っています。

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今回は昼の部はお墓まいり、夜の部は飲み会と二部構成。
久しぶりに来てくれた人もいて、本当に楽しい時間だった。

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あの頃18歳だったあの子達が40歳?とか結構びっくりするんです。
でもステキな大人になっていて、眩しい。そしてうれしい。
はるみさんが見られなかった彼ら、彼女たちの今を直に見られているのも幸せだなって思うし
同じ立場で音楽に関わるいろんな話ができるようになっているのも、心強い。

お墓でセッションしたのが気持ちよくって
はるみさんもきっと聴いてくれているだろうなって思った。

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楽しく幸せな時間をありがとう!
またね。
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気軽にまた1歳 [日々生活]

「フォト茶vol.00」at アイアイエーギャラリー(小伝馬町)というグループ展に出品。
「お茶を飲みながら写真を眺める」
「お家に気軽に飾れる写真を見つけて、買う」というコンセプトに
なんかピンときた。

気軽に飾れる写真ってなんだろう?気軽に飾れる写真だから
気軽に撮った写真を出品するわけでもないのだけど(もちろん)
気持ちが軽いってどういうこと?って思ったり。
気持ちを軽くすることにお茶が関わるというのもとても素敵なことだ。
このことをちょっと考えてみようと思って出品写真を選んでみた。

気持ちが重くなる出来事っていうのはその人その人で違うと思うけれど
やはり、自分にとって考え過ぎてしまう出来事っていうのは重い。
考えすぎる状態をちょっとホッとさせるもの
次元を違うところに持っていってくれるものは
気軽さを含む。

気軽だから簡単、とか平坦とは違う。
風通しが良かったり、停滞せずに動きを持っていたりするものに
やはり軽さは感じる。
生き物である以上、同じ場所に留まっているということは
身体的にも心理的にもできないのだから
気軽さというのはそのものに動いているものを感じたり
自分を健やかに動かしてくれるものに響いたりするのかもしれない。

今回の作品のタイトルは「I. C. S. T. 1」。これは「I can see them 1」の略。
このタイトルについて、私が通った写真のワークショップの先生&
ファシリテーターの写真家・音楽家のA.Rさんが
「これってI can see the intentionですか?」と
尋ねてくれた。
最後が1なんだけれどローマ数字なので I に見えたこともあったんだけれど
タイトルの意図はまさしくthem=the intention。
写真を観ていただき、その上でタイトルを解読してもらえてうれしかった。

私はこの写真の中に私なりの気軽さをいくつもしのばせている。
今度は家でこの写真の気軽さを味わう番だ。お茶とともに。

そしてこの写真展が終わった日に一つ歳もとり
気軽な日にしようと考えていたので普通に過ごした。
朝さんぽし、珈琲を淹れ、朝ごはんを作り、大掃除をし、話し、
写真を引き取りに行き、一緒に出品していた人たちと軽く食事・・・。
こんな日が結構好き。

誕生の「誕」というのはそもそもデタラメ、偽り、うそという意味。
うそが生まれるのが誕生であるならばうそやデタラメの始まりから
どのように人や生き物が成長していくのか、なんか面白い。

今日からはまた日常と非日常を行ったりきたりしながらの生活。
音と音楽とともに。

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銅版画のお嫁入り [日々生活]

一年前のグループ展の私の版画の展示をみて
「これ、私欲しい」と言ってくださったKさんの元に
一年経ってもう一枚刷り上がり、やっとお嫁入りした銅版画。
今日はランチしながらの納品でした。
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そんなに待たせるか?くらいのお待たせの仕方に自分でも呆れ
そしてよくぞ待っていただきました!とKさんには感謝の気持ちしかないのですが
色も方法も納得がいってのお嫁入りにやはり時間が必要だったとつくづく思います。
こうやってオーナーになっていただくことが(要は買っていただくのですが)
励みになるし、昔の歌じゃないけれど「お客さまは神さま」なのです。
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3月と確定申告と7年前のこと [日々生活]

今年も確定申告が終わった。
昨年何をやっていたかを思い出し、考えながらまとめるので時間がかかるけれど
e-taxはしないことにしている。
税務署に出向き、職員さんに判を押してもらって「ご苦労さまです」と
言葉をかけられるのが自分の中でのなんとなくの儀式。
勤労と納税の義務が国民の義務のうちの2つ。
社会での義務って何?義務を果たすって何?と。
義理を果たすことのほうがしっくりくるとふと思ってみたり。

それはさておき
7年前の2011年3月15日、私は今年と同じように税務署に向かっていた。
マスクをしサングラスをかけて花粉症対策しながら歩いていた。
「やけに光が眩しい」そう思いながら
4日前に起きた東日本大震災の影響で、仕事がキャンセルになったり
人通りが少なくなったりしていたことに
有事であることをひしひしと感じていた。

多分いろんなものが飛んでいたのだと思うのだけど
あのキラキラと乱反射したようにみえる光と、風の強さを今でも忘れない。
こんな時でも延滞しないで確定申告に行くってことが
大きな自然に揺さぶられながらも社会は動いていると、何とか自分の精神が
平静を装おうとしているのか、自分でもよくわからなかった。

いつもギリギリにしか税務署に提出に行かない私は
いつもの年のようにギリギリに申告書類を提出して、職員さんに判を押してもらい
「ご苦労さまでした」と声をかけられることで
日常を取り戻そうとしていたのかもしれない。
帰りに珈琲を飲んで家に帰ったのを覚えている。

あれから7年。私自身はそんなに変化はない。
自分のやりたいことをやり、やりたくないことは極力やらず
多少戦いながら、妥協もし、
周りにいる人たちが楽しく生きているのを見て、私もそうありたいなと思う。


昨年、確定申告で税務署に行った帰りにビーガンカフェに寄った。
そこのランチが野菜たっぷりでその野菜をたくさん食べたくなったから。

食べていた時に、お店の女性とお客さんが個人事業主とわかり、
私が「確定申告を今してきたんです」と話すと「そうですか。おつかれさまです!」と
2人から声をかけられてなんかやけに嬉しかったのを覚えている。

昨日はまだ確定申告が終わっていなかったんだけれど、
久しぶりにそのカフェに行ってランチを頼んでそれを頂いていたら
「去年確定申告が終わったって、いらして頂いたお客様ですよね」って言われて。
あの時の女性のスタッフさん。
よく覚えていたなあと感心して、そこからまた税金と個人事業主の話。
今年はまだ終わってないんです、これからなのと言うと
私もなんです。がんばりましょ。
って2人で気合いれた。

小さいことだけど、また来年の確定申告の時に思い出すのかもしれない。

これから三寒四温で春に向かって行く。
桜は開く準備を整えている。
3月はそんな季節。

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理にかなう [日々生活]

昨年は冬眠モードだったこともあるのか
ふと、この1年くらい身体に無理をかけなくなったと感じる。

別に病気をしたとかそんなことはないんだけれど
気持ちだけでは進めない、進んではいけないと感じるようになった。

これまで通り無理をしても、多分無理できると思う。
120%で走り抜くことが一時的にはできる、きっと。
でも、それはしてはいけないと自分の奥から声がするような気がした。

無理は理性が無い、と書く。理屈が無いとも言える。
理知的でないとも言える。
若い頃は理がなくても許されることもある。
勢いで理を吹き飛ばすことだってある。
でも、歳を重ねるってそういうことじゃない。
理を知り、それを賢く使うこと。それが智恵になる。

無理をしないということは怠けることや惰性でやることとは違う。
自分の全力を尽くすことと同じこと。
でも自分の中の道理って何かを知ること。

その無理しない状況から出てくるいろいろな何か。
音楽やいろいろと変化が始まっている。
自分、もっと聴かせてよ、と思う。
もっと自由になれそう。
今年はそういう年。

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2月・如月・音の律 [日々生活]

先週の連休は2日連続のライブ。

このところライブでピアノを弾いてる時、前より自分の音が繊細に聞こえるようになってきた。
自分の出している音、今までだってもちろん聞いていたし、聞こえてきていた。
でも、最近は音を出した瞬間、その音の情報を受け取って身体が反応する、みたいな感じ。
一方で一緒に音を出している人たち(バンド等)のその音の情報量があまりにも多くて
うわって思ったり、受け取ってから反応するまでがもっと早くなってくれて、
しかも音が先まで見えればーこうするのにと考える間にどんどん曲は進む。

さすが時間芸術の音楽。時間は止まってくれないのと同じで音楽も止まってくれない。
相変わらず音楽は気持ちいいけれど、自分を簡単にいい気持ちにさせない。

この四年ほど小さな合唱部をやっている。
ただただ音楽が好きだとか、みんなと歌ってみたいだとか、
この場が楽しいだとかその人なりの理由で集まってくれている。

音楽って人にとって一体どんな存在なんだろう。
私は自分が演奏者なので、音を出すということは当たり前だと思ってきたけれど、
ある人に「あなたは小さい頃からピアノを弾いて、
しかもそれを周りの人が(環境として)認めてきたから
音楽をやることは当たり前と思っているかもしれないけれど
わりと多くの人は本当は歌ってみたい、楽器を弾いてみたい、
でも音楽の授業で先生に言われたことがひっかかっていたり、壁があったり、
音楽の演奏そのものが遠い世界のものって思っているんじゃないか?」って言われた。

音楽が好きだからやる、有名になりたい、人前で音楽したい、人に聞いてほしい、
そんな理由も人によって音楽をやるモチベーションになる。

それとはまた別に、音楽を手段じゃなくて目的にするとどうなるかってこと。
音楽を目的ってどんなことなのかまだよくわかっていないのかもしれないけれど
音楽に自然の律が含まれているとするならば、それが目的になるってことも充分ありえる。
生物が子孫を残すために、たとえばその時期が来たら花を咲かせて種を作ることが普通であるなら
そんなことが音楽の中にあるのかな、とも。

自分という身体が、心が、もしかしたら魂があるのならば
それが音楽になったらどうなるんだろう。
それは音楽そのものを観察し、観察し、観察することでわかっていくことかもしれない。
(この場合の観察は音楽をよく聴くこと。そして考えて音を出すこと)
音楽聞いてるだけでシアワセー。それで十分なんだけどね、元々は。

2月は新月が過ぎ、雨水を過ぎ、新しい季節に近づいていく。

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節分と豆と冬の最後 [日々生活]

昨年末できなかった畳替えを何としても立春までに、と決め
家を片づけてなんとか間に合わせた。
(下見に来た畳屋さんが部屋から玄関までの通路に
あまりに物が置いてあるのを見かねて
「申し訳有りませんが畳が通れないので
それだけ片づけていただけますか?」
と言われたくらいの「家が倉庫状態」を無理やり片づけ
当日畳屋さんが感動したくらい(苦笑))
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そして昼間に時間ができたので目黒不動尊の節分祭に寄ってみることに。
3年前に初めてお寺の節分祭に行き、その雰囲気にワクワク!
その時に撒かれる豆(三角の袋の中に豆がいく粒か入っているもの)を
もらう、つまり撒いた豆がこちらにちょうどいい感じで飛んでくるというのは
結構な確率の低さだ。「多分豆をもらえるのはここにいる半分以下の人かー」
と思いその時はもういただけないかも、と思って「届かないよー」と心で言ってみたら
横にポトンと落ち、その後に手のひらにストンと手のひらに入った。
その年はそのストン、の感覚がずっと身体に残っていた。

そして、今年。
「天に花咲け、地に実なれ。福は内、福は内、鬼は外」と唱えた後に
始まった。
ご年配の方たちが撒いているせいもあるのか、遠いところにほとんど飛んでこない。
前の方に豆が落ちていく。
後ろにいる方たちは「もっと若い人にも撒いてもらわないと飛んでこないわよー」と
笑いながら言っている。
私も、これは無理だなーと思っていたけど、妙に気持ちが高揚するし
豆を撒かれているんだから、こちら側が鬼か?とか思いながらいたら
ポーンと遠くに投げられた3個ほどの豆。
無意識に斜め上に手を伸ばしたらポンと手のひらに当たり、手を瞬間的に閉じた。
なんかその手に入った瞬間の感覚が、あまりにも自然でびっくり。
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実はお寺に着いた時には複数の豆をもらえたらあの人にも、あの人にもあげたいって
思っていたけれど
その手に入った瞬間に「まず自分」という言葉が響く。

そうか、自分か。

そして、豆まき隊退場。
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他の人分はお寺で買った。ご祝儀(?)みたいなもの。
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帰りながら
いただくっていうのはもっと自然なことで
何かを取りにいくのとは違うこと。

そして自分の意思ではいただけないということ。
なんか妙にありがたくなった。福豆ということよりも
その偶然に、というか言葉が頭に浮かんだことも含めて。

私は特定の宗教を持つわけではないけれど
宗教を持つことが、その宗教の神に感謝することにつながるのであれば
それは人間を豊かにするのかもしれない、と宗教の存在の意味を感じた。

じゃあ感謝ってなんなの?って考えると
全てが当たり前ではないということに気づかせてもらう瞬間、みたいなこと。
おかげさまで、みたいなこと。

いつかわかるかな、感謝の肝。

で、帰りににゃんこがいい感じでゆるんでた。
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もうチューリップが出てきている。
節分は冬の最後。明日は立春。
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ちょっと遅れたクリスマスで [日々生活]

近所の魚屋でみつくろったムール貝、エビのカルパッチョ、ラムを買いに行けずのチキンのクスクス、近所のパティスリーの、天国にも昇るような美味しさのビュッシュドノエル(アミカルモン)、でご飯会。
ちょっと遅れてサンタさん登場?

なんてことを言ってるうちに大掃除の日がやってくる。2017年はあと何日?

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